天龍寺 情報
TEL:075-881-1235
宗派:臨済宗天龍寺派宗務本院
拝観:庭園(曹源池・百花苑)高校生以上:500円
交通:JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分
天龍寺見どころまとめ
天龍寺見どころ1:多宝殿
昭和時代(昭和9年)
小方丈から長い回廊でつながった奥に南面して建つのが、後醍醐天皇像を安置する多宝殿である。
正面に6間の階(はし)付きの向拝(ごはい)を持つ7間5間の拝堂(礼堂)と相(あい)の間でつながれた3間2間の祀堂からなっている。
昭和9年(1934)に竣工したもので、屋根は銅板葺で、半蔀(はじとみ)と呼ばれる建具を取り付けるなど寝殿造を思わせるが、伝統的な寺社建築の造りとは異にする部分も見受けられる。
全体には中世、とくに鎌倉時代の様式を模倣したものである。
春ともなると前庭には見事なしだれ桜が満開となる。
天龍寺見どころ2:法堂(選佛場)
江戸時代
勅使門から放生池(ほうじょうち)を越えて真っ直ぐに進んで、大方丈の門外の手前にあるのが法堂はっとう)である。
元治元年(1864)の兵火で法堂.方丈·庫裏(くり)などを焼失し、現在の法堂はその後、江戸時代後期に建立された雲居庵禅堂を移築したものである。
その後、禅堂は新たに再建されなかったため、かつては天龍寺では法堂を坐禅堂(選佛場)としても利用していた。
桁行5間、梁行5間、寄棟造で桟瓦葺の建物である。
天龍寺見どころ3:雲龍図 鈴木松年筆
明治時代
紙本墨画縦約18.1m横16.3m
法堂天井
元治元年(1864)の火災の後の法堂天井には、明治時代の画家鈴木松年(しょうねん、1848-1918)の筆になる雲龍図が描かれていた。
多くの禅宗寺院の法堂に水神としての龍が描かれる理由は、そこが仏法の教えを法雨(ほうう)として説く場所であるからとか、法堂に火難除けの龍神を描にとで伽藍全体の火災を防ぐ意味があるといわれる。
天龍寺見どころ4:雲龍図 加山又造筆
平成時代(平成9年)
紙本墨画縦12.6m
横10.6m
法堂天井
法堂の天井には、天龍寺開山夢窓国師650年遠諱を記念して平成9年(1997)に現代日本画の巨匠加山又造(1927~2004)画伯によって新しい雲龍図が描かれた天井に杉板159枚を張り合わせ漆と白土で作った下地の上に、紺と藍の二重円相内(直径約9m)に二本の角(つの)と手足に五本の爪を持った八方睨(にら)みの龍が迫力満点に描かれている。
天龍寺見どころ5:曹源池

特別名勝で世界遺産でもある天龍寺庭園は、夢窓国師の発意に基づき作庭されたものである。
国師は天龍寺伽藍の内外の景物のなかから優れた十境地を選び「天龍寺十境」を定めたが、その一つとして「曹源池」がある。
その謂われとなった国師の詩文「曹源涸(か)れず直ちに今にいたる 一滴流通して広くかつ深し」には、天龍寺以前にあった嵯峨天皇皇后橘嘉智子 ちこ)の禅林·檀林寺がわが国禅宗の最初の一滴であり、それが天龍寺となって広く伝えられていくように、という意味が込められる。
滝口の龍門岩や岩島·石橋など躍動感に溢れながら、かつ繊細な風情を失わない。
方丈からの眺めを意識した構成になっており、春夏秋冬それぞれに興趣は尽きないが、錦秋の季節はさらなり、雪の玄冬もまたよし、である。
天龍寺見どころ6:大方丈·小方丈(書院)
明治時代(大方丈)
大正時代(小方丈)
法堂の奥に土塀に囲まれて東面して建つのが大方丈である。
西側は曹源池に面している。
方丈は禅院における主要伽藍の一つとして大寺院には大小2つあった。
天龍寺は創建以降幾度となく火災にみまわれ、ことに元治元年(1864)禁門の変の際には、薩摩勢の兵火により全山焼亡した。
現在の大方丈は明治32年(1899)、曹源池に北面して建つ小方丈(書院)は大正13年(1924)になって再興されたものである。
ともに特別名勝天龍寺庭園曹源池を鑑賞するに好所となっている。
京都五山