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音羽山 清水寺

清水寺

清水寺見どころまとめ

清水寺見どころ1:清水の舞台

清水寺:清水の舞台

参詣者で賑わう清水の舞台は錦雲溪の急崖に最高12メートル、16角(周2.4メートル)の欅(けやき)の柱を建て、貫(ぬき)を縦横に通して楔(くさび)で組み固め「舞台」を張りだしている。

本来、名実共に歌舞などを演じ奉納する「舞台」である。

清水寺見どころ2:本堂

国宝

江戸時代(寛永10年)
寛永6年(1629)の焼失により、徳川三代将軍家光の発願で同10年に再建された。

正面36メートル、側面30メートル、棟高18メートルの大仏堂。

寄棟はせむね)造り、総檜皮(ひわだ)葺きで上方はむくり、下方は反りの屋根は優美な波状の曲線を見せ、創建者の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が旧長岡京の紫宸殿(ししんでん)を拝領して移築したという伝説もあり、軒回りの蔀戸(しとみど)を含めて平安王朝の寝殿造りの面影を彷彿させる。

12メートルの長大な柱を立て並べて「舞台」を造り出して急崖に聳え立つ姿は実に雄大である。

清水寺見どころ3:本堂外陣

本堂の前部、外陣(げじんは礼堂(らいどう)である。

床は拭い板張りで太い丸柱が立ち並び、中央の天井は折り上げ格天井(ごうてんじょう)になる。

正面奥中央の欄間(らんま)には本尊の清水型千手観音像を真ん中にして、左右に脇侍(きょうじ)の地蔵菩薩像·毘沙門天像と三面の大きな丸鏡式の懸仏(かけぼとけ)がかかり、その手前に華麗な釣り金灯籠を吊り、この下に厳かに金銅製の三具足を安置し、大鏊子(けいす)と木魚を配す。

まことに礼堂にふさわしい。

なお、他の欄間は大型絵馬で埋めつくされている。

 

清水寺見どころ4:奥の院

重要文化財

江戸時代(寛永10年)
寛永10年(1633)の再建。

一辺5間、約12メートルの正方形、寄棟造り·檜皮葺きで、屋根の反り曲線はまことに美しい。

本堂のミニ版で、本堂同様に千手観音像と脇侍の地蔵菩薩·毘沙門天像、二十八部衆、風神·雷神像の三十三尊を祀り、「奥の千手堂」と呼ばれ、前面に舞台を張り出している。

しかし本尊は、本堂の清水型千手観音像とは異なって、非常に珍しく、国内現存最古と思われる頭上に二十四面を戴く三面坐像の千手観音像。

しかも鎌倉仏師を代表する快慶風の秀作である。

この舞台からの本堂、および洛中の眺望は素晴らしい

 

清水寺見どころ5:音羽の滝

清水寺:音羽の滝

渾々と清浄な水を湧き出している音羽(おとわ)の滝は奈良時代末、熱心な山岳仏教修行者の行叡居士(ぎょうえいこじ)と延鎮(えんちん)法師がリレーして千手観音の延命水を感得、絶好の滝水垢離(みずごり)行の場とし、観音寺を開創。

「清水寺」と称したと伝える。

以来、修験道者の滝道場となり、不動尊を祀り、室町時代には茶の湯の水として尊ばれ、今日も八功徳水として参詣者に長い柄杓で汲まれ続けている. 3本の懸樋(かけひ)に分かれ、高さは約4メートル。

「松風や音羽の瀧の清水を結ぶ心はすずしかるらん」とご詠歌にも歌われる。

清水寺見どころ6:仁王門

清水寺:仁王門

重要文化財

室町時代
応仁の乱の兵火で焼失(1469年)した後に再建された。

清水寺境内の西端、標高100メートルの高台に清水寺正門として西面して建つ。

正面9.9メートル、側面8.4メートル、高さ14メートル、入母屋(いりもや)造り、檜皮葺き、二階建ての堂々たる八脚-戸の楼門。

綺麗な朱色塗りで、「赤門」と呼ばれ、都人に親しまれている。

門の前半部の脇間に、像高365センチメートルの京都における最大級で、しかも鎌倉時代後期の慶派流の素晴らしく力強い阿·吽形(おうんぎょう)の仁王(におう)像を安置する。

右/仁王門の額「清水寺」平安中期の三蹟、藤原行成(ふじわらのゆきなり)の筆という。

清水寺見どころ7:三重塔

清水寺:三重塔

重要文化財

江戸時代(寛永9年)
三重塔は寛永9年(1632)、古様式によって再建された。

高さ30メートル余、日本最大級の三重塔である。

上重への低減率が小さく、塔身が実際より高く聳えて見え、かつ安定感があり、総体丹塗りで段と立派さを増す。

各重外部横材の桃山様式の極彩色文様-軒下すぐの丸桁(がぎょう)の摩竭魚(まかつぎょ)と金剛盤に宝珠、柱頭部の台輪(だいわ)の出八双卍(まんじ)くずし円龍と向い蝶、長押(なげし)の入り八双若芽唐草と四弁花羯磨繋(かつまつなぎ)は目を引く。