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臨済宗相国寺派大本山 相国寺

相国寺

相国寺 情報

住所:京都市上京区今出川通烏丸東入

TEL :075-231-0301

拝観時間:午前10:00~午後4:00

拝観料:

一般・大学生    800円
65歳以上・中高生 700円
小学生      400円
◆京都地下鉄 烏丸線「今出川駅」徒歩5分

相国寺見どころまとめ

相国寺見どころ1:法堂(無畏堂)

相国寺 法堂

相園寺は正式には、蔦年山相園承天禅寺といい、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)をはじめ、全国に100余の末寺を擁する臨済宗相園寺派の大本山である。

室町幕府3代将軍·足利義満が創建に尽力し、約10年の歳月を費やして、明徳3年(1392)に完成。

多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化を支えた。

初建は明徳2年(1391) であるが、以降4度の火災に見舞われ、現在の建物は慶長10年(1605)に豊臣秀頼の寄進により再建された。

禅宗様の法堂建築としては最大にして最古を誇る。

無畏堂(むいどう)とも称し、本来畏れることなく法を説く講堂的役割を果たしている。

仏殿なきあと、仏殿も兼ね、本尊を安置することから本堂とも呼ばれる。

構造は桁行5間、梁間4間、高さ22m。

単層切妻造で本瓦葺の玄関廊がついている。

法堂外観は二階建てに見えるが、一階の屋根に見えるのは裳階(もこし)で、単層の建物である。

正面には高い階段を三方に備えた須弥壇が置かれ、中央には本尊である釈迦如来が坐し、両脇に阿難(あなん)·迦葉(かしょう)尊者が泥られている。

床は禅宗様の特色である四半敷の土間で、漆喰で白線が引かれている。

この白線は儀式や法会で行導される時の道を定めている。

相国寺見どころ2:燃龍図:狩野光信筆

江戸時代

約9m径

龍は仏法を守る龍神であり水を司る神でもある。

火事から護るという意味から、禅宗の法堂の天井には龍がよく描かれている。

慶長10年(1605) 相図寺の法堂が再建なった際に、狩野光信によって描かれた。

光信は狩野永徳の長男として生まれ、父とともに信長、秀吉に仕えた。

光信はこれを描き上げた3年後に没しており、本図は光信にとって最後の大きな仕事となった。

天井は中央が少し盛り上がったむくり天井になっている。そのため、蜂龍図の下で手を叩くと反響して音がかえってくる。このことから「鳴き龍」とも呼ばれている。

 

相国寺見どころ3:開山毎歳忌

毎年10月20、21日は、相園寺勧請開山夢窓国師の毎歳忌が厳修(ごんしゅう)される。

法堂の須弥壇中央には夢窓国師像が安置され供物が供えられる。

20日に宿忌、21日が半斎で、両日ともに楊厳呪(りょうごんしゅう)を読み行導を行なう。

相園寺の行事の中で最も重要な行事の一つである。

 

相国寺見どころ4:方丈

方丈 庭園

 

禅宗様建築の配置は、三門、仏殿、法堂、方丈が南北に真っ直ぐ並んで建てられるのが特徴で、相園寺も同様に法堂の北に方丈がある。

現在の建物は文化4年(1807)に開山塔、庫裏と共に再建された。

中国宋代の名筆家·張即子(ちょうそくし)の扇額が掲げられている。

構造は単層入母屋造りの桟瓦葺。

方丈としては大規模で、桁行25m、 梁間16m。

方丈·室内

方丈は、南側に3室と、北側に3室の六間(むま)取りで、合せて168畳ある。

南側の表方丈は檀信徒の法要、坐禅会などの公的行事に使われる。

竿縁(さおぶち)天井に竹の節欄間(らんま)で、3室通して広々と使えるようになっている。

北の3室は、鴨居上を2段の小壁として欄間を設けていないので、各室それぞれ独立して使えるように造られている。

正面には遠塵斎(えんじんさい)による観音菩薩画像が掲げられる。

仏の顔、体、衣の輪郭すべてが経文の微細な文字で書かれている珍しい画像である。

方丈庭

禅宗の庭は表と裏で作庭が大きく異なる。

前庭(南側)は白砂を敷きつめているほかは何も配さず、禅語の「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」の教えを表わしている。

単調な造りながら、月と太陽の反射を利用して室内を明るくする効果もある。

一方、裏庭(北側)は、本来空の世界からひとたび転ずると、無限の広がりを見せることを表わし、市中にいながら深山歯谷の雰囲気を漂わせる。

相国寺見どころ4:開山塔

開山夢窓国師像を安置するため、開山塔(開山堂)と呼ばれる。

法堂の東に位置し境内で最も大切な場所である。

開山塔の庭は白砂が敷きつめられた真の庭に石を、奥に奇岩を配し樹木が植えられている。

本来表と裏の二つに分かれている禅宗の庭が一つになった稀有な例である。

創建当時、上賀茂から水を引き、ちょうどこの庭の中を通して御所に流して御用水とし
ていたため変則的な造りになったという。

開山塔内部

創建当時の建物は焼失し現在の建物は江戸時代後期に、桃園天皇の皇后恭礼門院の黒御殿を賜って、文化4年(1807)に移築された。

礼堂(らいどう)と洞堂で構成され、礼堂は外回り5間四間。

南側の正面には、広縁と落縁があり、縁高欄(縁側の手摺)を付けた造りで、もと御殿であったことがよく分る。

三方に畳が敷かれ、中央には後水尾天皇筆の「園明」の額が掲げられる。

西の壇 (写真左)には仏光国師、仏国国師、 普明国師、足利義満の各像を安置する。

 

 

相国寺見どころ5:庫裏(香積院)

庫裏

禅宗の寺院では、 方丈に続いて庫裏があり、寺務所と台所を兼ねている。

その型や様式は禅宗寺院で決まっていることが多い。

切妻妻入(きりつまつまいり)で、入口を入ると広い土間になり大きな寵(かまど)がある。

入口正面の板の間には章駄天が記られている。天井は高く、立派な木材の梁が複雑に組まれていて壮観である。

 

相国寺見どころ6:鐘楼(洪音楼)

下(しも)の重(じゅう)が城の天守の石垣のように拡がった袴腰(はかまこし)付型の鐘楼で、「洪音楼」の号を持つ。

袴腰の下は花尚岩の壇になり、内部には階段があり鐘を吊った上の重へ行けるようになっている。

天保14年(1843)に再建され、肘木の端の丸みが少なく、縁の下の組物間には蛙股(かえるまた)を入れるなど、江戸末期の様式の特色が見てとれる。

 

相国寺見どころ7:宗旦稲荷

宗旦稲荷

江戸時代はじめの京都には二匹の有名な狐がいた。

聖護院の森に住む「お辰狐」と、相園寺の敷に暮す「宗旦狐」である。

宗旦は千利休の孫にあたる千宗旦のことで、千家の基礎を固めたといわれる茶道史上高名な人物である。

宗旦狐は、茶の湯の宗匠である宗旦にたくみに化けて茶会に出没し、見事な点前(てまえ)を披露したことからその名がついた。

法堂の東南に稲荷社として記られている。

 

 

相国寺見どころ8:三門跡

勅使門の内側に三門(さんもん)跡の数個の礎石が今も残されている。

本来は勅使門から北に向かって放生池、 三門、 仏殿、法堂、方丈が一直線に並び典型的な伽藍配置であったが、三門と仏殿は天明8年(1788)の大火の後再建されないままで、磯石と石垣が往事を忍ばせている。