高山寺 情報
住所:京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
TEL :075-861-4204
拝観時間:8:30~17:00
石水院 拝観料:800円※紅葉時期のみ 入山料500円
駐車場:50台※11月のみ有料
アクセス:
- JR京都駅からJRバス高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行で約55分
(途中、四条大宮・二条駅前・円町などを経由)、栂ノ尾下車。 - 京都市営地下鉄烏丸線四条駅から、市バス8系統で約50分、
高雄下車、徒歩約15分。 - 栂ノ尾バス停近くに市営駐車場があります。50台(無料)※11月のみ有料
※嵐山高雄パークウェイは有料、営業時間8時〜20時(季節によって変更あり)
高山寺見どころまとめ
高山寺見どころ1:表参道
高山寺は京都市右京区根尾(とがのお)にある古利である。
創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206) 明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。
神護寺のある高雄から白雲橋を越え、周山街道を道なりに進むと表参道に入る。
石段上の左手に「栂尾山 高山寺」の石碑(富岡鉄斎筆)がある。
やがて道は平坦になり、かつて大門があったと伝える場所に今は石灯龍が立つ。
木漏れ日のもと正方形の石敷きが17枚連なる意匠が美しい。
高山寺見どころ2:裏参道
塀低くもみじ遅しや高山寺
高浜虚子
裏手の駐車場·バス停から境内に入る道が裏参道である。
近年はこちらを利用する人が多い。
苔に覆われた石垣と草木の中をつづら折にのぼっていく。
一木一草をそのままに、手を入れすぎない自然が美しい。
段を登り切ると、石積みの上に低い白壁が続く。
壁の向こうが石水院である。
境内は昭和41年(1966)「史跡」、平成6年(1994)「世界文化遺産」に登録された。
高山寺見どころ3:石水院
国宝
鎌倉時代
桁行正面3間、背面4間、梁間3間、正面1間通り庇。
一重入母屋造(いりもやづくり)、妻入、向拝(ごはい)付、柿。
五所堂とも呼ばれる。
創建当時、現石水院は東経蔵として金堂の東にあった。
安貞2年(1228)の洪水で、東経蔵の谷向いにあったもとの石水院は亡ぶ。
その後、東経蔵が春日·住吉明神をまつり、石水院の名を継いで、中心的堂宇となる。
寛永14年(1637)の古図では、春日·住吉を記る内陣と五重棚を持つ顕経蔵·密経蔵とで構成される経蔵兼社殿となっている。
明治22年(1889)に現在地へ移築され、住宅様式に改変された。
名をかえ、役割をかえ、場所をかえて残る、明恵(みょうえ)上人時代の唯一の遺構である。
高山寺見どころ4:開山堂
江戸時代
明恵(1173~1232)が晩年を過ごし、入寂した禅堂院の跡地に立つ。
明恵上人坐像(27頁)が安置され、御影堂信仰の対象となった。
建物は室町時代に兵火をうけて焼亡し、江戸時代に再建されたものである。
現在、法要はこの開山堂で営まれることが多い。
1月8日に明恵上人生誕会、1月19日に明恵上人命日忌法要、11月8日に献茶式が行われる。
高山寺見どころ4:明恵上人坐像
重要文化財
鎌倉時代
木造彩色 玉眼 像高83.0cm 開山堂安置開山堂に安置される等身の明恵上人像である。
黒衣に袈装を掛け、念珠を持つ。
その表情には厳しさと温かさとが並存し、上人の相貌をよく伝える。
嘉禎2年(1236)、明恵の遺徳を敬い、上人が示寂した禅堂院の東南に十三重塔が建立される。
塔内には上人年来の本尊であった弥勤菩薩像をおさめ、禅堂院と塔を結ぶ渡廊に上人の木像が安置された。
それが本像像であろう。
高山寺見どころ5:金堂
桃山時代~江戸時代
かつての本堂の位置に立つ。
桁行3間、梁間3間の一重入母屋造、銅板葺。
承久元年(1219)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、 鐘楼、 鎮守を従えた槍皮葺(ひわだぶき)5間4面の堂字で、運慶作の丈六虚舎那仏(るしゃなぶつ)などが置かれたという。
その本堂は室町時代に焼失し、現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624~44)に御室仁和寺真光院から古御堂を移築したものである。
釈迦如来像を本尊とする。
金堂への石段
高山寺では、清滝川から標伽山(りょうがせん)へいたる斜面に堂字が造営されている。
金堂は境内の最も奥まった場所にある。
その左右にひろがる平坦地にかつては堂宇が建ち並び、創建時の高山寺の中心をなした。
表参道から金堂へは、亭々たる杉木立の中、やや勾配の急な石段を踏んであがる。
高山寺見どころ6:仏足石
江戸時代
御廟を右手に見て、左の細道に入ると簡素な覆いの下に仏足石がある。
釈迦の足跡をかたどり礼拝の対象としたもので、千幅輪宝(せんぶくりんぽう)、金剛杵(こんごうしょ)、双魚紋(そうぎょもん)などの紋様をもつ。
近世の模刻ながら、釈尊に愛慕の情をよせた明恵を偲ぶことができる。
そこから木の根道をあがると金堂に至る。
境内には「仏足石参道」の石碑が2基あり、信仰を集めたことが知られる。
高山寺見どころ7:収蔵庫(法鼓台文庫)
昭和時代(昭和34年)
開山堂下にコンクリート3階建ての経蔵がある。
博物館寄託の仏像·絵画等の美術品を除く、聖教(しょうぎょう)·典籍·古文書類のほぼ全てを収める。
昭和43年(1968)に高山寺典籍文書綜合調査団が発足し、全点の調査が行われた。
その成果が「高山寺典籍文書目録」(索引共全5冊)である。
それをうけ、昭和56年(1981)には、先に指定された1000余点に加え、全体が一括で重要文化財の指定を受けた。
目録に載る典籍は総数12000点。
重書、重文第1部、第2部、第3部、第4部にわけて収蔵されている。
平安後期、鎌倉時代の典籍を多く含み、明恵の教学活動を反映している。
高山寺見どころ8:茶室「遺香庵」
昭和時代(昭和6年)
庭園:京都市指定名勝
明恵上人700年遠忌に際し、当時の住職士宜覚了は境内の整備に力を尽した。
その一環として、昭和6年(1931)に建立されたのが茶室遺香庵である。
茶祖明恵上人の茶恩に酬い、その遺香を後世に伝えることを主旨として、高橋等庵(そうあん)ら全国の茶道家100人の篤志によって完成した。
数寄屋大工は3代目木村清兵衛、作庭は小川治兵衛である。
庭の最上部に位置する腰掛には香取秀真(ほずま) 銘の楚鐘が掛かる。
遺香庵庭園は平成7年(1995)に京都市指定名勝とされた。
平時は非公開である。
高山寺見どころ8:茶園
高山寺は日本ではじめて茶が作られた場所として知られる。
栄西禅師が朱から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという。
最古の茶園は清滝川の対岸、深瀬(ふかいぜ) 三本木にあった。
中世以来、栂尾の茶を本茶、それ以外を非茶と呼ぶ。
「日本最古之茶園」碑が立つ現在の茶園は、もと高山寺の中心的僧房十無尽院(じゅうむじんいん)があった場所と考えられている。
現在も、5月中旬に茶摘みが行われる。