観光スポット

醍醐寺

醍醐寺 紅葉

世界遺産 醍醐寺 情報

住所:京都市伏見区醍醐東大路町22

TEL :075-571-0002

拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍) 【春期・秋期】

大人:1,500円

中高生:1,000円

小学生以下:無料

拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍) 【通常期】

大人:800円

中高生:600円

小学生以下:無料

 

  • 京都駅八条口からホテル京阪前(京都醍醐寺ライン乗り場)所要時間:約30分
  • JR京都駅から、JR東海道本線(琵琶湖線)または湖西線約5分で山科駅。京都市営地下鉄東西線に乗り換え、約10分の「醍醐駅」で下車。

醍醐寺見どころまとめ

醍醐寺見どころ1:三宝院の枝垂桜

醍醐寺 桜

三宝院は、醍醐寺の院家(いんげ)の一つとして、第14世座主(ざす)勝覚(しょうかく 1057~1129)により、永久3年(1115)に開基された寺。

現在は総門を入って左側にあり、桃山時代末期まで金剛輪院と称されたところにある。

玄関に向かう途中には樹齢150年とされる枝垂桜があり、春には満開の花をつける。

三宝院 唐門

醍醐寺 唐門

国宝

桃山時代

三宝院表門の東に南面する3間1戸の平唐門で、大きな「五七の桐」をつけた2つの扉とその両脇に「十二弁の菊」の彫刻が施されており、旧伏見城の遺構と伝えられる。

 

朝廷からの使者が来寺の時にのみ開扉したとされ、当初は柱扉以下黒漆塗で桐と菊の紋には金箔が押してあったことが文献よりわかる。

三宝院 表書院

国宝

桃山時代

三宝院の殿舎と庭園は豊臣秀吉が慶長3年(1598)に醍醐寺で花見を催すにあたって改造·増築されたもので、玄関·勅使の間·表書院·意殿·庫裏(くり)·純浄観(じゅんじょうかん)·護摩堂からなる。

このうち表書院は書院造ながら、縁側に勾欄(こうらん)をめぐらし、西南隅に泉殿(いずみどの)をつけるなど寝殿造の様式を取り入れたユニークな建築。

表書院の東にあるのが茅葺入母屋造の純浄観で、表書院·純浄観の中間北にあるのが入母屋造桟瓦葺の辰殿である。

三宝院 庭園

醍醐寺三宝院 庭園

特別名勝 特別史跡

桃山時代

中央に池を掘り、中島を三つ造って多くの橋で連ね、南に仮山、東に滝、池のまわりに多数の名石を用いた豪壮な庭園。

回遊式庭園ながら建物内部から眺める形となっている。

豊臣秀吉が繋楽第の庭から名石「藤戸石」 (ふじといし)をはじめ多くの海石を運ばせて造ったと伝える。

 

 

醍醐寺見どころ2:五重塔

醍醐寺 三宝院 五重塔

国宝

平安時代3間5重の塔婆(とうば)で本瓦葺、高さ38.2メートルの安定感のある堂々たる五重塔で、京都に遺るものとしては最古である。

「醍醐雑事記」によれば、承平元年(931) 朱雀(すざく)天皇が醍醐天皇の冥福を祈って建立を発願、20年を経た天暦5年(951)村上天皇の御宇に完成し、翌年に塔供養が催行された。

初層内部に描かれた両界憂茶羅·真言八祖像をはじめとする壁画は、醍醐寺最古の密教絵画というばかりでなく、 類例の少ないこの時期にあってわが国絵画史上貴重な作品となっている。

五重塔·初層内部

国宝

平安時代 板絵天暦5年(951)に完成した五重塔内初層内部の東西側半面には、いかにも密教寺院らしくそれぞれ胎蔵界(たいぞうかい)·金剛界の両界受茶羅が描かれ、周囲の腰羽目板(こしはめいた)には真言八祖像などが描かれている。

とりわけ心柱(しんばしら)西面の大日如来像は細部まで精彩に描かれている。

これらは塔内部に両界受茶羅を描くことによって真言密教の中心思想を象徴したものであり、10世紀密教絵画の遺例が甚だ少ないなかで、この時期の絵画の基準作例として貴重である。

 

 

醍醐寺見どころ3:金堂

醍醐寺見どころ3:金堂

国宝

平安時代五重塔の北西に位置する桁行7間、梁間5間、一重入母屋造 (いりもやづくり)、本瓦葺の堂で、前1間を外陣(げじん)とし周囲に廻縁をめぐらしている。

延長4年(926)創建の醍醐寺金堂は永仁3年(1295)に焼失し、再建後の金堂も文明2年(1470)に大内氏の勢により焼失した。

その後再建はならなかったが、豊臣秀吉の醍醐寺再興の支援を受けて、慶長5年(1600)に紀伊国(和歌山県) 有田郡湯浅 (ゆあさ) 村の満願寺本堂(平安時代末期建立)を解体して移築したことが移建時の棟札銘よりわかる。

金堂·内陣

国宝

平安時代

金堂は鎌倉時代末期に修理が行なわれ、慶長5年の移建時および近世に入ってからも改修が施されるなど当初のままではないが、内陣上部に組まれた出組 (でぐみ)の組物は材料も古く、平安時代末期の様式を示していることから、元来の建築年代は平安時代末期から鎌倉時代初期と考えられている。

須弥壇(しゅみだん)の上には湯浅から運ばれてきた本尊薬師如来坐像などが記られている。

醍醐寺見どころ4:下醍醐清滝宮 本殿

重要文化財

室町時代(永正14年)

清滝宮は醍醐寺一山を守護する鎮守で、寛治2年(1088)に第14世座主勝覚の手によって上醍醐に勧請され、下醍醐へは永長2年(1097)に勧請された。現在の本殿は仁王門を入って右手にある。

 

三間社流造(ながれづくり)で槍皮(ひわだ) 葺。「醍醐寺新要録」

 

醍醐寺見どころ4:大講堂

昭和時代(昭和5年)

明治から昭和にかけて活躍した実業家で、京都市中の多くの寺院の復興を援助した山口玄洞 (げんどう)が、昭和5年(1930)に真言僧侶の育成道場として寄付、建立した建物。

石を積み上げた土台の上に雄大な屋根を持つ宝形造(ほうぎょうづくり)の大建築が建つ。

ちなみに神護寺金堂も玄洞の寄付になるものである。

醍醐寺見どころ5:薬師堂

醍醐寺見どころ5:薬師堂

国宝

平安時代(保安2年)

上醍醐の伽藍の中央に位置する建物で、はじめ延喜7年(907)に醍醐天皇の発願で建立される。

現存する建物は保安2年(1121)に第15世座主定海(じょうかい)により再建されたもの。

桁行5間、梁間4間、一重入母屋造、槍皮葺。

上醍醐に遺る平安時代唯一の遺構で、簡素で力強い姿の仏堂。

なお、薬師堂の本尊である国宝薬師如来および両脇侍像は、不慮の災難に備えて現在は霊宝館に移坐されている。

醍醐寺見どころ6:上醍醐 清滝宮拝殿

上醍醐 清滝宮拝殿

国宝

室町時代(永享6年)

醍醐水のすぐ横にあり、山腹を切り開いて建てられ、前面が崖にさしかかる懸造(かけづくり)となっている。

「満済准后(まんさいじゅごう)日記」によれば永享6年(1434)に建立されたもので、桁行7間、梁間3間、一重入母屋造、向拝3間、槍皮葺。

妻側を正面として軒唐破風(のきからはふ)をかけた装いで、当時の貴族住宅の建築手法を生かした建物として貴重なものである。

醍醐寺見どころ7:開山堂

重要文化財

桃山時代(慶長13年)

妻側を正面とする桁行8間、梁間5間の規模の廟堂形式の入母屋造建造物で、豪華華麗な彫刻を多用して各所を装飾している。

『醍醐寺新要録」によれば、慶長11年(1606)に豊臣秀頼が開山堂·如意輪堂·五大堂の山上三堂宇の再建を発願し、同13年に竣工をみた。

内部の正面は軒唐破風付きの厨子(ずし)で、中央に開山理源大師(聖宝)、右に第1世観賢(かんげん)僧正、左に弘法大師の御影を配る。

 

醍醐寺見どころ8:如意輪堂

醍醐寺 如意輪堂

重要文化財

桃山時代(慶長11年)

五大堂からやや離れた高所にあり、桁行5間、 梁間3間、一重入母屋造、妻を正面とする柿葺(こけらぶき)で懸造(かけづくり)の仏堂。

如意輪堂は慶長10年(1605)の失火により開山堂·五大堂とともに焼失したが、翌年に豊臣秀頼により再建された。

堂下の岩塊は、貞観開眼(じょうがんかいげん)の日に如意輪観音菩薩が飛行して、 その上に立たせられたという奇瑞を伝える。