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臨済宗建仁寺派大本山建仁寺

建仁寺

建仁寺 情報

住所:京都市東山区大和大路通四条下る小松町
TEL:075-561-6363
宗派:臨済宗建仁寺派大本山
交通:

  • 京阪電車「祇園四条駅」より 徒歩 7分
  • 阪急電車「河原町駅」より 徒歩10分

建仁寺見どころまとめ

建仁寺見どころ1:方大庭園「大雄」

方丈の縁にひとりの僧が静かに庭と対座している。

方丈前庭の広々とした大雄苑(だいおうえん)は、軒下に沿ってこぶし大の石が連なり、沖から磯に向かってあたかも白波が押し寄せるかのように一面に白砂が敷き詰められている。

塀際の巨石のまわりには苔が生(む)している。

建仁寺は中国百丈山(ひゃくじょうさん)の禅利を模したといわれ、庭の名も百丈山からの眺めを模して名付けられた。

借景として塀の外に見える大きな建物は法堂(はっとう)である。

 

建仁寺見どころ2:三門

江戸時代(大正12年移築)

放生池の前に南面して建つ禅宗様(ぜんしゅうよう)の三門である。

禅宗における三門は、煩悩を離れた状態をあらわす三解脱門(さんげだつもん、空門·無相門·無作門)にたとえられる。

三間三戸の八脚門で、二重入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺で、両袖に山廊(さんろう)と呼ばれる昇降のための階段がある。

大正12年(1923)に浜松市安寧寺の江戸時代末期頃に建てられた三門を譲り受けて再建したもので、内部の意匠や外まわりの組物などに江戸時代後期の特色をよく示している。

正面に掲げられている扇額「望闘楼(ぽうけつろう)」は当寺の第4代竹田黙雷(宗淵) 管長の筆になる。

 

建仁寺見どころ3:法堂(粘華堂)

江戸時代(明和2年)

三門を真っ直ぐに進むと法堂(はっとう)がある。

現在は天文21年(1552)の火災で焼失した仏殿を兼ね、須弥壇(しゅみだん)上には室町時代に制作された釈迦如来坐像と迦葉·阿難像が安置されている。

桁行5間、梁間(はりま)4間、一重裳階(もこし)付、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の本格的な法堂で、古くは宝暦13年(1763)に東福寺から堂を移したものと伝えられていたが、棟札により明和2年(1765)の新建になるものである。

本堂を括華(ねんげ) 堂といつのは、釈迦の説法を弟子の迦葉ひとりが理解して微笑んだという伝えにならったもので、まさに助弟の以心伝心の場である。

現存する京五山の法堂としては、相園寺法堂に次いで古い。

建仁寺見どころ4:双龍図 小泉淳作筆

建仁寺見どころ4:双龍図 小泉淳作筆

平成時代(平成14年)

紙本墨書縦11.4m横15.7m

法堂天井法堂の天井いっぱいに阿畔(あうん)の口をした2匹の龍が描かれる。

阿形の龍は手に玉をつかむ。

仏法守護として、また水の神として仏法の教えの雨(法雨)を降らせるたとえから、禅宗の法堂に描かれることが多い。

建仁寺法堂は古くより龍は描かれず素木(しらき)とされてきたが、1年10ヶ月の歳月を経て、建仁寺創建800年を記念して平成14年(2002)4月に小泉淳作画伯の筆になり完成したものである。

 

建仁寺見どころ5:方丈

重文

室町時代(文明19年)

この方丈は安芸国(広島県)安国寺から慶長4年(1599)に安国寺恵理(あんこくじえけい)が移築再建したものと伝えられる。

額の銘文から文明19年(1487)建立になることが判明し、京都の禅宗方丈としては東福寺龍吟庵方丈に次いで古い貴重なものである。

桁行27.6メートル、梁間20.7メートルで一重入母屋造の建築で、内部は六間取りで現在はすべて畳敷きとなっているが、仏間と室中の間は本来板敷きであった。

仏間には東福門院寄進の十一面観音菩薩坐像が安置されている。