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浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺

永観堂禅林寺

永観堂禅林寺 情報

住所:京都市左京区永観堂町48

TEL :075-761-0007

拝観時間:午前10:00~午後4:00

拝観料:

一般       600円
小・中・高生   400円

    • JR京都駅から市バス5系統で「南禅寺永観堂道」下車、徒歩3分。
    • JR京都駅から市バス100系統で「東天王町」下車、徒歩8分。
    • 地下鉄烏丸線「京都」から、「烏丸御池」にて地下鉄東西線六地蔵方面行き乗り換え、「蹴上」下車、徒歩15分。
    • 京阪電車「三条」から市バス5系統で「南禅寺永観堂道」下車、徒歩3分。
    • 京阪電車「神宮丸太町」から市バス204、93系統「東天王町」下車、徒歩8分。

永観堂禅林寺見どころまとめ

永観堂禅林寺見どころ1:多宝塔

昭和時代(昭和3年)

釈迦堂の背後に、ひときわ高い位置に見えるのが多宝塔である。

多宝塔は平安時代に純粋に日本で造り出されたもので、下層を方形 (ほうぎょう)、上層を円形とし、上下層の接続部に白漆喰(しっくい)で鰻頭型を造る。

禅林寺の多宝塔で変わっているのは、上部に高く奪える相輪(そうりん)が通常の花弁形ではなく、五重塔や三重塔などの多重塔に用いられるのと同じ水煙(すいえん)になっている点である。

この多宝塔は昭和3年(1928)に鎮守堂とともに建立されたもので、建築様式は純粋の和様となっている。

永観堂禅林寺見どころ2:唐門(勅使門)

釈迦堂前庭

京都府指定文化財

江戸時代(文政13年)

中門(ちゅうもん)を入り大玄関の右手にあるのが、勅使などの貴人を迎える際の四脚(しきゃく)形式の向唐門(むかいからもん)である。

入母屋造(いりもやづくり)、槍皮葺(ひわだぶき)の前後を大唐破風(はふ)造に納め、軒先の木鼻(きばな)には想像上の動物である獲(ばく)を置き、各所を雲龍·唐草彫刻で装飾する。

寺記「洛東禅林寺略記」によれば、承応3年(1654)頃に唐門1棟が建てられたようであるが、現在のものは文政13年(1830)の建立になるものであり、江戸末期の建築技法を良く示している。

釈迦堂前庭は唐門の内側にあり、杉苔で囲まれた中に砂で文様をあらわす小判形をした盛砂の庭園である。小判形の外周に幾重にも盛砂で段を付け、中央には盛砂で市松(いちまつ)文様をあらわし、月夜の光の反射を見て愉(たの)しんだという。

永観堂禅林寺見どころ3:釈迦堂(方丈)

江戸時代(寛永4年)

京都府指定文化財

大玄関を入って右手に西面して建っているのが釈迦堂で、唐門の内側にある。

桁行19.7m、梁行14.8m、入母屋造、桟(さん) 瓦葺。

 

六間(ろくま) 取りの方丈形式で正面には禅宗と同じく「方丈」の属額が掲げられ、後列中央間の仏間には釈迦如来像が安置されている。

 

永正年間(1504~21)、後柏原(ごかしわばら)天皇の建立と伝えるが、欄間や棚の意匠は近世初頭のものである。

 

もと室中を飾っていたとされる重要文化財の長谷川等伯筆波満図(はとうず)をはじめとする襖絵の多くが寛永以前の慶長期のものであることから、釈迦堂もその前身となる古方丈が存在していたらしい。

釈迦堂内陣

六間(ろくま)取りの構成で、床·棚·付書院を備えた上段の間が後列の南脇室に設けられている。

また各室に江戸時代初期の襖絵が描かれるが、時代によって填(は)められた絵の位置に違いがあるらしい。

現状は手前の松の間に松小禽図(まつにしょうきんず)の襖絵と楓雑子図および長押(なげし)上に揚げられた三十六歌仙図があり、奥の上段の間(仙人の間)の違い棚には爆布図(ばくふず)、その左には群仙図(ぐんせんず)、さらに鷺花斉図(さぎかきず)、高士乗舟図が描かれる。

 

永観堂禅林寺見どころ4:放生池(弁天池)

放生池

総門を入って右手にあるのが放生池 (ほうじょういけ、弁天池)で、反橋を渡った池中の弁天島には弁天社が記られている。

弁天社は慶応2年(1866)に造営された一間社流造(やしろながれづくり)·桟(さん)瓦葺の建物である。

永観堂禅林寺見どころ4:御影堂(祖師堂)

大正時代(大正元年)

釈迦堂と阿弥陀堂の中間に位置するのが、 浄土士宗の開祖法然上人を記る御影堂(みえどう、大殿ともいう)である。

禅林寺最大の建造物で、総棒(けやき)造、建築的にいえば間口7間に奥行7間であるが、側面にさらに1間の付け出しがあり、実際の間口は8間5分の規模である。

応仁の乱で全山被災し、後土御門(ごつちみかど)天皇の御願により再建されたが、その後退転し、現在の御影堂は大正元年(1912)に竣工したものである。

阿弥陀四十八本願に準じ48本の丸柱が使われている。

御影堂内陣

内陣と外陣の間を仕切る柱間の幅は広くとられ、内陣の須弥壇上の宮殿内には法然上人像 (御影)が安置されている。

和様と禅宗様が巧みに融合された大正時代仏堂建築の代表作である。

 

 

永観堂禅林寺見どころ5:臥龍廊

昭和時代

御影堂(みえどう)の背後から左に折れて開山堂に向かう龍が臥(ふ)せたように長い廊下が臥龍廊(がりゅうろう)で、堂舎の造りを山肌の段差の多い地形に沿うようにしたためにこのような形になった。

「禅林十二境」の一つにも数えられる奇抜な建造物である。

寺伝では室町時代永正年間(1504~21)ごろの建立というが、部材は新しく昭和になって現在のものに変わった。

 

永観堂禅林寺見どころ6:鐘楼

京都府指定文化財

江戸時代(宝永4年)

阿弥陀堂の西南に建つ桁行1間、一重切妻造、本瓦葺、方一間吹き放ちの鐘楼で、寛保3年(1743)の紀年のある楚鐘が吊られている。

棟札から宝永4年(1707)に永井勘右衛門を大工棟梁として建立されたことが判明する。

禅林寺中門も正徳3年(1713)に大工永井茂光によって建立されたことが分かっており、大工永井氏は同一人物かあるいは同族になるものであろうか。

 

永観堂禅林寺見どころ7:阿弥陀堂(本堂)

永観堂

京都府指定文化財

安土桃山時代

禅林寺伽藍の一番南に位置するのが、有名な本尊みかえり阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂(本堂)である。

建築的にいえば桁行7間、梁間6間、一重入母屋 (いりもや)造·本瓦葺で、正面および側面に半部 (はじとみ)式の吊上げ戸が用いられ、高貴な貴族の繊細な邸宅風の趣きがある。

さらに正面に3間の向拝(ごはい)が付いている。この阿弥陀堂は、慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって、現在重要文化財の当麻受茶羅図(たいままんだらず、鎌倉時代)とともに四天王寺から移築したものである。

 

 

 

永観堂禅林寺見どころ8:阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀如来)

重要文化財

鎌倉時代

木造 像高77.0cm阿弥陀堂安置

禅林寺本堂である阿弥陀堂の本尊で、世に「みかえり阿弥陀如来」として名高い。

永保2年(1082)2月15日早朝に永観(ようかん)が勤行していると、阿弥陀如来が壇を降りてともに行道(ぎょうどう)を始めた。

恐欄(きょうく)の余り行道を勝曙(ちゅうちょ)している永観を阿弥陀如来が振り返り、「永観遅し」と呼んだ時の姿であるという。

槍材の寄木造で玉眼(ぎょくがん)を鉄入(かんにゅう)し、表面を漆箔(しっぱく)仕上げとする。

制作は平安時代後期から鎌倉時代初期になり、異色の姿をした美しい阿弥陀如来像である。

右手を挙げ、左手を垂下して第1指と第2指を捻じて来迎印を結んでいる。

顔を左に向けて立つ姿は、寺伝のとおりである。